ソーシャルメディアはどこへ 情報学研究者ドミニク・チェンさん
情報学研究者のドミニク・チェンさんはこの春、17年間にわたって使い続けてきたX(旧Twitter)のアカウントを削除、さらにFacebookとInstagramもやめました。なぜこのタイミングで? やめてからの変化は? SNSとの距離感に悩める一人として、話を聞きました。
――なぜXをやめたのですか。
元々、居心地の悪さを感じていました。
2010年代後半ごろからアテンションエコノミーの傾向が強くなってきて、短時間で「いいね」やリツイートの数が増えるような投稿、扇情的な情報、本能的に反応してしまいやすいような文言や画像が増えてきた。プラットフォームの設計が「利用者の瞬間的な反応をいかに刺激するか」ということにますます偏り始め、お互いの注意を奪い合うゲームになっていった。
自分自身も何か発信すると、そのゲームに参加させられ、アテンションを奪う側にもなる。だんだん投稿すること自体、減っていきました。
2022年のイーロン・マスク氏の買収によって右傾化が進み、TwitterをXに変えて、自分の思想の拡声機のように使い始めた。とどめは今年1月のトランプ米大統領の就任イベントで、マスク氏がナチス式敬礼のようなしぐさをしたこと。あれを見て、もう一刻も早くやめたいと思ったんです。
――迷いや葛藤はありませんでしたか。
Twitterは2007年くらい、リリースされてまもない頃に始めて、最初は「ツイートしすぎてうるさい」と友だちから言われたことを覚えています。議論をふっかけるようなことはせず、主に自分の活動の告知などに使ってきました。フォロワーは1万9千人程度です。それでも、友人や知り合いもたくさんいて、色んな人から反応をもらったり会話が始まったり。やめたい気持ちと、自分のネットワークの一部がそこにある、ということがてんびんにかけられていた感じでした。
――アカウントは残して発信しない、という選択肢はなかったのでしょうか。
そうですね。もう一つ大きかったのは、特に用事がないのにXやインスタを開いて、気付いたら時間が溶けている、ということ。
誰かにDM(ダイレクトメッセージ)しようと思って開いて気付いたら20分くらい経っていた……みたいな。疲れた時にみるとドゥームスクローリング(無限スクロール地獄)が発動して、さらに精神が疲弊することが増えて。依存性みたいなものに対する自覚も閾値(いきち)を超えてしまった、という感覚がありました。
――ドミニクさんの専門分野かと思いますが、やっぱりXのデザインやインタラクションなどの設計が、依存を高めるような形になっているのでしょうか。
はい。いかに滑らかに、摩擦がないように設計するかがITの開発現場では黄金律としてあがめられてきました。
おすすめアルゴリズムやタイムラインの表示、エンドレスで流れ続けるYouTube動画……いかに選択させず、思考させず、直感的な反射神経で親指が動くように誘導するか。
瞬間でみたら居心地が良いと言えるかもしれないけれども、そういうところで情報摂取を続けている限り、自分自身のバイアスもどんどん深まっていってしまう。無意識のうちに単純化して世の中を見始めてしまっている、という危機感もありました。
憤ってストレス感じているのに、なぜ
――SNSをやめたいけれどやめられない人も多いと思います。私も、個人としては生活の一部になっていて、Re:Ronなどメディアの発信としては重要なツールの一つでもあり、言論空間が悪化するなかで抜けてしまっていいのか、とも考えてしまいます。
原文出處 朝日新聞